No.102: 『黒魔道師でいる理由』

ども。紫乃女です。
暑くなりましたねぇ!
皆様いかがお過ごしでしょうか。

本日は、石の話でも術の話でもないんですよ。
とあるご質問メールに対する『お返事』なんです。
だから興味が無い方はここで回れ右をなさって下さいませ。

さて。
とある方、仮にここではS氏とお呼びしておきましょうか。
その方からあたしの元に1通の質問メールが参りました。
内容は端的にまとめるとこうなります。(掲載許可は取ってます)

「 あなたは自分は頭が良いのだと自負しているくせに、なぜその良い頭をもっと世の為人の為に使わないのか?
人の心が平和になり、世の中が幸せになるような、そんなアイテムの開発にいそしむべきではないのか?
なぜ黒魔法などというものに貴重な自分の人生を費やしているのか?」

・・・(´・_・`)
「大きなお世話だコノヤロウ!(ノ*`´)ノ⌒┻」
と 突き放しちゃうのは簡単なんですが、まぁ頭の出来を褒めて頂いている以上、
そうもいきませんので、ここはひとつ長文にはなりますが、 真面目にお話したいと思います。

この地球に人類が、語弊があっちゃいかんので、類人猿時代じゃなくって新人類がって限定しましょうか、
その新人類が誕生したのは諸説ございますが、大体今から20万年ほど前のことだったと言われております。

その、我らの祖先がこの地球上に誕生してから今までの間、実に20万年もの間、
人と人との争いは絶えることがありません。同胞(はらから)同士で殺しあう行為は兵器の
品質向上(?)に伴い、ますますエスカレートしていると言ってもいいと思います。

例えば、アメリカさんがその気になれば、この地球上の人類を一人残らず死滅させてしまうことなど
朝飯前でしょう。まぁそれをやれば自国も無事では済まないでしょうから、
今んとこやらないってだけでね(´・_・`)

今この瞬間だって空爆に晒されている国はあるんですぜ?
今この瞬間だって人間が人間を殺しているんです。20万年の間、気が遠くなりそうな長い間、
この世に人というものが誕生してからずっと、人は人を殺し続けてきているんですよ。

そしてもちろん、その惨状を嘆く人々もずっと誕生し続けてきました。
古今東西を問わず、平和と調和の重要性を訴える偉大なる思想家の方々が、
そんな人の営みを改善させようと、血の滲むような努力と活動をなさってきたのです。

思想家だけではなく、心ある宗教家・哲学者・政治家の方々も、なんとかこの忌むべき
「同胞殺し」を止めさせようと、様々な名言を残しました。
例えば有名どころだとエイブラハム・リンカーン(Abraham Lincoln)
第16代アメリカ合衆国大統領ですが、彼は「悪意を捨てて愛を取ろう」
「正義を勝ち取りたければ銃弾(bullets)ではなく投票(ballots)で成すべきだ」と
人々に訴えかけました。ま、そんな彼もbulletで暗殺されちゃったわけですけどね(´・_・`)

20万年もの間、人は人を殺し続け、20万年もの間、人は人に愛の重要性を説いてきました。
20万年経ってみて、今のこの世をあなたはどうお思いになられますか?

確かに各国けん制し合ってて第三次世界大戦こそまだ発生してはおりませんが、もっと小さな規模、
例えば日本国内に限った場合、人が人を殺す行為は無くなったとあなたはお考えでしょうか?
愛の重要性、調和の重要性は、十分に人々の間に浸透し認識されているとあなたはお思いでしょうか?

あたしは思いません。
人の命はますます軽視されてきていると思います。人が人を思いやり、その手を取 ることの重要性が
十分に人民の間に浸透しているというのなら、そんな親に育てられた子供同士の間で、
どうしていじめなどの問題がここまで大きくなってきているのでしょうか?
子を殺す親、親を殺す子、憎しみ合い殺し合う人間達。
同胞殺しのニュースが紙面を飾らぬ日のほうが少ないのではありませんか?

人とは面白い生き物で。
過去の偉大なる芸術家達の絵画や像などの芸術作品は、模倣品まで作って身近に置こうとするくせに、
愛と調和を説く過去の偉大なる人々の至宝の言葉には耳を傾けません。
クラシックコンサートへ赴いては美しき調べに酔い、美術館へ通っては素晴らしい絵画を堪能し、
博物館に出向いては過去の遺物に想いを馳せる現代の人間の心には、
「人と人は理解し合い愛し合うべきなんだ」という過去の偉大なる方々の言葉は届いていないのでしょう。

届いていると思っていられるのも自分のお尻に火がついていない間だけで、
その間だけは綺麗事をさも本心からの言葉のようにその舌先で転がしますが、いざ災いが自分の身にも
降りかかろうかとなった途端、聖人の仮面をむしり取ってまるで鬼のように自分を
攻撃してきた者達を烈火のごとく責めたてる。

さも正義は我にあるかのように、さも悪は相手側にあるかのように、
声高に自分の権利を主張し始めるのでしょう。

あたしはそんな人間達を腐るほど見てきました。
あなたはどうですか?
あなただってそんな人達を見た経験がおありなのでは?

上記の事象からあたしが導き出した答えはひとつです。

人は、もともと、人を、同胞を、殺すように出来ている生物なのです。
人の本質そのものが、同胞殺しなのです。人の本質は愛なんかじゃない。

光なんかじゃない。

約2000年前に「それじゃいけない」と人々に説いた男は十字架に掛けられて酷い死を遂げました。
誰1人として彼を助けようとはしませんでした。共に死のうとはしませんでした。
お弟子は12人もいらっしゃったはずなのにね!

人とは、我が身が可愛いだけの生き物なのです。
自分より恵まれた者を見れば妬み羨み、自分より惨めな者を見ては優越感に浸り、
そうやって可愛い我が身を甘やかし続け、それでもなお手に入らぬ物(者)があるとなると、
たとえ同胞達の命を奪ってでも自分の意志を通そうとする。
「自分が正しいんだ、相手が間違っているんだ。だから自分が行っていることは正義なんだ!」と、
同胞達の魂を踏みつけながら、声高く主張する。それが人間です。

この生き物の姿の、どこに愛がありますか。どこに光がありますか。
どこに救いがあるんですか。同胞喰い(はらからぐい)がこの生き物の本質じゃないんですか。
それが本質だからこそ、実に20万年もの間、さまざまな偉人が愛だの光だのに人を導こうとしても
無理だったんじゃないんですか。三つ子の魂百までっていうじゃないですか。
同胞喰いこそが、人間の、三つ子の魂なんじゃないんでしょうか。
20万年もの間変わらないものこそが、人の本質なんじゃないんでしょうか。

あたしはそう思うんです。

ねぇ、四角いスイカってどうやって作るかご存じですか?まだ小さい実の間に、
四角い立方体のケースの中に入れちゃうんですよ。そうすると成長した実はケースと同じ四角になります。

でも、もし成長途中で四角いケースからその実を出しちゃったら、スイカは丸くなっちゃうんです。
スイカは元々丸く成長する性質を持ってますからね。

人に愛を説くことは、同胞と手を取り合うことを説くことは、スイカを四角いケースに押し込むのと
同じことなんじゃないでしょうか。ケースがあるうちはいい。
しかし何かのはずみでそのケースが外れたり破損したりした場合、人間はその元来の性質を剥き出しにして、
同胞へと攻撃を開始するんじゃないんでしょうか。
ケースから外れたスイカが丸く戻ろうとするのと同じようにね。

もしもこの世に創造主がいるのであれば、これはあんまりな世界なんじゃないでしょうか。
ひとつがいの生き物たちを船に乗せて、残りを洪水で綺麗に流し去ってリセット掛けたって、
時間が立てばまた同胞同士で殺し合い。元の木阿弥。

創造主からみれば、明らかに我々は『失敗作』です。救いなど期待出来る出来栄えじゃない。
「無かったこと」にされても文句言えないレベルです(´・_・`)
もしもこの世に創造主がいるのであれば、我々は彼の輝かしき経歴に残る「汚点」でしょう。

それでも、人に手を差し伸べる人はいる。
我が身の利益を考えず、見ず知らずの人の為に、尽力する人達はいる。確かにいる。
でもそうじゃない人達も大勢いる。その数は星の数を凌駕するほどに多い。
そんな世界で、他人の心の奥底を探り合いながら、あたし達は生きて行かねばならないのです。
自分に火の粉が降りかからないように周囲を警戒しながらね。

ごめんなさいね。
あたしは、そんな世界で、それでも愛を叫べるほどに、美しい思いをしてこなかったのです。
もう我が身は火の粉で火傷だらけです。いまだにその傷跡が消えません。

だからせめてあたしは、自分のお尻に火がつくまでは、聖人様のようなお綺麗な絵空事を、
さも本心からのように皆に説いて、いざ自分が渦中だと分かった瞬間に豹変するような、
そんな見苦しい真似だけはするまいと、昔、心に誓ったのです。

あたしは我が身が可愛い生き物です。可愛い我が身を脅かす奴には容赦しません。
たとえそれが新たな火種を産もうとも、可愛い我が身とそんな我が身にとって必要な人達を
脅かす生き物どもには戦いを挑みます。挑む以上は勝ちたいです。
この世は弱肉強食なのであれば、強くありさえすれば、喰われずに済むはずです。
だからあたしは強くありたい。その為には人としての領域を超えた力をこの手にしたい。
たとえ心の卑しい黒魔道師よ、人の道に外れた者よと揶揄されようとも、あたしは負けたくない。

愛や光で人が救われないことは、20万年間の人類の歴史が証明しているのだから、
あたしは別の道を探そうと、昔、心に誓ったのです。
たとえ人様の懐に手ぇ突っ込んで人様の大事な運をかき集めるような、
そんな卑しい行いを繰り返したとしても、それでもあたしは「この世」に負けたくないのです

これが、あたしが、黒魔道師でいる、理由です。
「血も涙も無い」ってのは、自戒の言葉でもあります。
そんなあたしも、たまには気まぐれで人の心を信じてみたくなる時もあるんですよ。
ま、あまり報われませんけどね。あれは余興ですなぁ。
「人の心を信じてみる」ゲームだと思って楽しむ程度にしておくのが良いのでしょう。
どっぷりはまっちゃいけないってことですな、はははヾ(´▽`)ノ

さて。
長々とお付き合い頂きましたが、以上がご質問への答えとなります。
納得してくれとは申しません。
共感してくれとも申しません。
ただ、こっちの覚悟を「理解」して下さい。
まるで数式を「理解」するかのように。それだけで十分です。

それではヾ( ^ _ ^ )

関連記事一覧